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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

良い本との出会い方:小説編【図書館便り】

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こんにちは。にゃんちーです。

今日はとりあえずちょっと短めになりそうです。

 

良い本にについて、ちょっと考えてみました。

今日は小説に絞ってお話ししようと思います。

 

 

 

はじめに

好きな小説家とか、好きな小説のジャンルとかって誰しもあると思うんです。

好きなものが決まると、好きなものしか読まない人もいるでしょう。

でも時々冒険したくもなる。

最近SNSで、「何かオススメの本ありませんか?例えばこんな感じのやつ…」という内容のものをよく見かけるんです。勿論、人に聞いた方が速いし、自分では選ばないものに出合えることもあるでしょう。発信すれば誰か拾ってくれるので、とても便利な世の中になったものである◎

 

そうなのだが、しかし。

一方で、自分で探す楽しみがないじゃん、なんて思ってしまいました。忙しい人が多いのでしょう、本屋でフラフラってわけにもいかないのかもしれませんが。

 

わたしも凝り性なので、ハマったらそればっかりのタイプです。そんな私が自分にとって「良い本」を見つけるためのマイルール(もはや方法)があります。

いつもとはちょっと違うものを読みたいな、と思った時の参考になったらいいなと思ってこれを書いてみようかと。

本当にマイルールですが🐈

 

 

 そもそも 良い本 って、なにか。

今回は小説編なので、小説に限ってお話をします。

小説において、何が「良い本」なのか。それは一言で言えば、フィット感

 

私は小説を読む時、脳内で完全映像化されるので、あまり暴力的描写はちょっと苦手なんです。時系列がいれこになったり、場所がワープする点で、推理小説もあんまり得意ではないです。(推理小説読むときは、物凄く気合をいれます。はい。)

 

私がここで言う「良い本」というのは、売れているだとか、受賞作だとか、そういう評価のついた意味の良い本ではないです。

自分にとって(今これを読んでくれている、あなたにとって)の良い本。

 

もちろん内容が面白ければ、それが一番です!

でもそれって、頭からお尻まで物語を全部読んでみないと分からない。

読まないと分からないのに買えないじゃないですか。笑

 

小説の旨味のうち、7割を占めていると言っても過言ではない。

それが私の言う、フィット感。それは読み手である自分と、小説がもっているもの(或いはそこから感じ得るもの)とが、どれだけ一致するかということ。

 

それでは、私の「良い本」の見極め方をば。

 

良い本 見極め術① ケツを読んでしまう!

冗談!?

ではないです。大真面目で言っています。

小説であれば裏表紙にあらすじが書いてあるので、まずそれを読む。

当たり前ですが、さすがにここには物語の入口しか書いてないです。ここを読んで話に興味が持てればOKです。

 

物語の入り口を覗いてみてもイマイチ。

あるいは裏表紙であらすじではないことが書いてあることも…。

そんな時には、本当に、思い切って結末だけ先に読んじゃうんです。

本当に面白い小説って、例え推理小説だったとしても、結末を知ったうえで読んでも困ったことに面白いんです。

なんというか、ネタバレ万歳派です。笑

ちょっと万人にオススメ出来る方法ではないのかもしれません。

 

 

良い本 見極め術② あとがきを読む 

これは、あとがきがあれば、の話になってしまうのですが。

文庫本にはあとがきがあります。ほとんどに、ある。(近代以前の小説でなければ)

この、あとがきは、誰が書いているかにもよるところがあります。

作家本人が備忘録じゃないけれど心情を吐露している場合もあれば、違う作家が感想を書いている場合もあります。時々、小説家でもなく評論家でもなく、全く違う職業の方があとがきを書いていることもあります。

 

作家本人にせよ、作家以外、どちらのパターンでも興味深いのですが、できれば作家本人ではない感想書いているあとがきだと、とても参考になるのです◎

実際に中身(小説そのもの)を読んでみると、あとがきとは違った感想を持つことはあります。ただ、あとがきを寄せた人が、この物語をどんな視点で読んで、何を感じたのか参考になる部分は多い。

 

良い本 見極め術③ 冒頭の1文を読む(イチオシ🐈)

最後に、私が一番オススメする方法です。

小説の冒頭1文だけを読むことです。

小説って頭の1文で、どれだけ読み手の心を掴めるかが重要だと思うんです。

読み進めていくうちに、どんどん世界に引き込まれていくこともあります。

 

最初の一文ってゼロを1にするステップなので、ものすごく考えられているはずなんです。

たったこれだけ読んで、一体何がわかるのか。

その作家の文体、語彙力、言葉のセンス。少なくとも、これくらいは分かります。

作家の持つそれらが、自分の心地よさとマッチしているか。これが冒頭1文で「良い本」かどうか判断する基準です。

 

小説以外でも当てはまるやり方だとは思っていますが小説って、明確に何か情報を得るためのものではないですよね。娯楽的要素が強い本です。

だからこそ、最後まで読み通せるかどうかという自分なりの心地よさが重要だと思っているんです。それが、記事の最初で言ったフィット感、の正体です。

 

このフィット感を一番感じられるのが、冒頭の一文なのです。

できればその1文を、句読点も意識して声に出して読んでみてください。

本屋さんで実際に声に出して読み上げると、ちょっと怪しい人になるので、そんな時は心の中で音読をします。

読むスピード、句読点の間の取り方って人によって違います。それって書き手もそうだし、読み手もそうなんです。

要するに文章の持つスピード感と自分の持っているスピード感が一緒かどうか、といったところでしょうか。

 

どんなに売れていた本でも、どんなに有名な本でも、冒頭の1文だけを読んで本を閉じたことが私には幾度となくあります。

小説の面白さって内容は勿論ですが、表現の豊かさに魅力があると思っています。

それが冒頭のたった1文で、否応無しにバレてしまうんです。

内容が面白ければそれでいいんじゃん!と読み進めていける人には、あまりオススメできる方法ではないかもしれません。

 

例えば私のように、表現力だったりスピード感だったり、感覚的なものを重視する人にはうってつけのやり方だと思っています。

 

物語の入り方ってだいたい決まっているんです。

決まっているからこそ、そこにある僅かな違いに気がついてしまう。

私が小説を買う時に一番意識しているところはここです。

私の脳みそのせいか、単なる拘りなのか、どうしても気になってしまうんです。何が気になるって、特に語彙力。

文章を読んで、どれだけ他の感覚が刺激もしくは呼び起こされるか、というところです。それは心が揺れることかもしれないし、味覚だったり、触覚だったり温度だったり。視覚とは別の感覚が呼び起こされる。そんな感じです。

 

視覚で活字だけを追っているようでいて、案外頭の中だったり心の中で音読しているようなところがあると思うんです。

人によっては難しい漢字でつまずくこともあると思います。

まあ、それはっちょっと仕方ないところですよね。へへへ。

純文学が良いだとか、ライトノベルがダメだとか、そういうことじゃないんです。

冒頭の1文を心の中でいいから音読してみると、作者の文体が心地いいかどうかがわかる。それがとても重要だと思っているという話なのだ。

そして、その心地よさ=フィット感が自分にとって、「良い本」の基準になっているところが大いにある。

 

ちょっと気だるい、ダラダラとしたような文章が苦手な人もいるでしょう。

回りくどく比喩的な表現が苦手な人もいることでしょう。

逆にそこに書かれている以上でもなく以下でもない、言葉に含みのない文章がつまらないと思う人もいる。

文章に抱く心地よさって人によって本当にまちまちです。

でも、心地よい文章って内容の精度に関わらず、少なくとも読み続けていくことができる。それを判断するのに、冒頭の一文を音読するのをオススメなのである◎

 

 

 

良い本 と好き嫌いは紙一重(にゃんちーの場合)

例えば随分と昔の本になりますが、『世界の中心で愛を叫ぶ』という本が、恐ろしく売れました。映画化されているので、ご存知の方も多いでしょう。むしろ映画の方が有名かもしれないですね。

出版当時、私は高校生でした。

本が売れるあまり学校の図書室には、通称:セカチューのリクエストが多かったのでしょう。セカチューが5冊も入っていました・・・。

全校生徒が、読んだ、感動作!とでもポップつけたら良かったんじゃなかろうかってくらいです。笑

 

そんなに人気なのかと、ほとぼりが冷めた頃に本を開いてみたんです。

『世界の中心で愛を叫ぶ』の冒頭の1文はこうです。

朝、目が覚めると泣いていた。

この文章には続きがありますが、私はこれを読んだだけで、本を閉じそっと棚に戻しました。

 

たったこれだけの文章で、どうして読まないと決めたのか。(読めない)

「泣いていた」という表現が、あまりにも気に入らなかったんです。笑

泣いていたって、それ以上でも以下でもないんです。

泣いたという動詞だけを、乱暴にぶつけられた気持ちになったのです。泣いていることがわかる表現方法というのは山のようにあります。

目が覚めると泣いていたって、一口に泣いていたと言ったって、どんな風に泣いていたのか、これじゃ全然分からない。

まあ、気が付いたら涙が出てた。そんな感じなんだと思うんです。

これって、想像力じゃなくて、推測でしかないんです。

推測で小説を読んでいくなんて、推理小説でもないのに冗談じゃないやと思いました。

例えば、悪夢にうなされてボロボロと涙が出ていたのか、怯えてナ涙が出ていたのか。

冒頭の1文の続きを読むと分かるのですが、

悲しいのかさえ、もうわからない

と続いているので、恐らく悲しくて泣いてた。やっぱり推測なんです。

悲しくて泣くのも、寝てる間に泣いていたのだから、わんわん泣くってことはないのかもしれません。目尻に涙がにじんでる程度なのかもしれません。はたまた、枕が濡れるほど涙がこぼれ落ちていたのかもしれません。

でも、それすら分からないんです。

寝てるにも関わらず、悲しみから泣いていたのだろう、という推測でしかないんです。

それも、どれだけ悲しいのかさえわからない。

くれぐれもディスってるわけじゃないんです。中身の批判をしているのではなく、あくまで書き出しについての言及。

 

私にとって、セカチューは、頭から気になることだらけ、推測でいっぱいで、それを抱えたまま物語の終わりまで読める自信なんてどこにもありませんでした。

極端な話、目が覚めた・泣いていた。それ以上に情報がないんです。登場人物の感情の度合いも掴みづらい。

たったこれだけの文章で、書評的な意味で駄作という意味ではなく、少なくともセカチューは私にとっては「良い本」じゃなかった。そんな感じです。

 

 

おわりに 本への苦手意識の正体

本は読まないけれど、漫画は読むって人はいるじゃない?

これに限らず、本への苦手意識は面白い本に出合ったことがない。いわば食わず嫌いだったりします。あるいは、自分にとっての「良い本」の見極め方を知らないこと、なのです。

 

ビジネス書ばかりを読んでいる人って、小説となると途端に読めなくなるっていう人多いと思うんです。

ビジネス書って、これを読めば何が手に入れられるのかが明確だから、自分にとって必要かどうか、つまり自分にとって良い本かどうか、とても判断しやすいんです。

そこが小説を選ぶ時とは、大きく違うところです。

どんな本でも売れているというのは評価があるわけで、何か理由があるはずです。

だけど、必ずしも売れているからといって、自分にとって良い本というわけじゃないです。

 

その見極め方が分からないから、小説苦手とか。

小説ばかり読んでる人にとっては、ビジネス書ってなんか苦手みたいなことに。

これは何にでも当てはまると思うんですが、最初にどんなものと出会ったかって重要です。

最初に読んだ本がつまらないなって思ったら、二度と小説を読まなくなる。

なんだかそれって勿体ないと思うんです。

だからといって、自分にとってどんな本が良いのか、その判断方法は誰も教えてくれません。教えようがないです。感覚的でしかないから。

 

逆を言うと、自分だからこそ、わかることなのです。

 

自分に聞くという意味で小説の冒頭の1文、1節、1ページも読めば十分に分かると思うんです。1ページ心地よく読み進めていければ、後に何百ページあっても時間はかかるかもしれないけれど、案外読めるもんです。

長い文章を読むというのはある意味で訓練なので、最初から分厚い本を選ぶない方がいいです…。

取っ掛かりで自分の心にフィットするか、自分のスピード感と文体がフィットするか。

自分の感覚を研ぎ澄まして、自分で体感してみてください◎

 

なんか面白い本ないかなって思った時、でも、何が読みたいのか分からないな、でもなんか読みたいな。

そんな時は、時間が許せばですが、本屋さんをふらふらお散歩するのがおすすめです。

 

小説の入り口は、いきなり純文学とか、教科書に載っているようなちょっと小難しい本にチャレンジしなくてもいいんです。

個人的にはそういう本の面白さを伝えていきたいという気持ちはあります。

ライトノベルでもいいし、小説家が書いているエッセイでもいいと思います。

吉本ばななさんの小説は読んでなくても、エッセイから入るとか。辻仁成さんの小説は読んでないけど、辻さんのブログ読んでみるとか。

いきなり本を手に取るのが難しい人はこのご時世、作家さんでもブログやったり、SNSをやっている。そこから様子見るってのもいいと思います。

どんな人なんだろうって思って、その人に興味が湧いたらその人が書いているものに興味も湧いてくるから。

 

例えば私の話になりますが、高校の現代文の授業で夏目漱石の文章が載っていました。

近代化に向けての政策について、漱石は次のように書いていたんです。

皮相上滑りな改革

たったこれだけの文章、文章というにはあまりにも短い。

皮相上滑りな、それだけで私の心は持っていかれちゃったんです。

私がまともに夏目漱石を読むようになったのは、この現代文の中での1節がきっかけです。

今では、漱石の本をたくさん読んできたので分かることでもありますが、漱石ってなんかちょっと根暗でいつもどこかひねくれてる。そんな性格が彼の文章から、ちらほら垣間見える。

一方で漱石の社会を見る目は本当に鋭く、考察力に長けているのがとてもよく分かります。

漱石は新しい言葉を作る天才でもあった気がします。

日本語で書かれた小説もそうですし、英語の翻訳においてもそうです。

 

 

嗚呼、なんだか最後は漱石愛で終わってしまいました。

書いてるうちに面白くなってきちゃったので、このシリーズちょっと続けてみようと思います。

ビジネス書の自分にとっての良い本の見分け方とか。

目的はないけど、なんか読みたいな、の時の本の探し方とか。

私は、今回の小説編を含めこの3つの場面で、「良い本」の見つけ方を使い分けているので、本の探し方みたいな切り口でお話できる気がします。

自分が意識してるのはこの3つだけれど、もしかしたら他にもあるのかもしれません。

ケースバイケースですよね。

論文書いていた時期なんて、関連書籍を見つけてその本に載っている参考文献とか引用した資料って、芋づる式に読んでいましたから。

何か特定の分野を探す時は、この方法が手っ取り早いのかもしれません。あー、なんか色々あるかも。

 

ひょえっ!結局長くなっちゃいました・・・ああ。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました🐈

ということで、今日はこの辺に。

またにゃーん🐈