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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

凹凸ほぼ日誌・回顧録 始めます

こんにちは。にゃんちーです。

珍しい時間に更新しとります。

 

さて、どうしようかなと思ったのですが、ちょっとやっぱり自分の凹凸について書いていきたいのです。

 

基本的にこのblogは読書に徹するべきかなとか、凹凸に関しては別blogにすべきかとか悩みました。

 

良くここへ来てくださる方はご存知かと思いますが、にゃんちーこと、私、ADHDASD気味、最近よく聞く「大人の発達障害」です。

 

私のblogの中では、発達障害 凹凸 と呼ぶことにします。

多少、和らぐでしょ、障害っていうよりも。そしてアルファベットより分かりやすいんじゃないかなと。できる事、できない事の差があまりに激しいのです。そしてコントロール不可なのです、自分の体なのに。

 

 

それでね。

 

凹凸(ADHD)アカウントを作っても良いかなと思ったのだけれど、当事者同士の馴れ合いは・・・正直なところ、御免なのだ!

傷の舐め合い、したい訳じゃないです。

 

私も自分が凹凸だとわかった時、TwitterADHD垢作って徘徊していたのだけれど、あんまりポジティブな発信がなくて、余計に病んだ。笑

当事者同士はやはり、分かり合いやすい。

 

でも思ったんだ。

必要なことはそれじゃない。

そりゃ時には励まし合うのも良いでしょう。一人で戦うよりも、仲間がいた方が心強いもんさ。

ただ、同じ凹凸でも症状は様々で、自分にとって合うお薬から、ライフハック(生活していく上での工夫)は本当にまちまちなんです。

取っかかりとしてヒントを得るには良いと思います。

それでも、結局、その人は自分じゃない。

良いというから試しにやってみたけれど、自分には出来なかった、合わなかった、ということばかりです。

もちろん、自分にぴったりのライフハックやお薬との付き合い方が見つかる人もいるとは思います。それはとってもラッキーです。

 

 

今、ハローワークでも発達障害を持つ人への職場支援の講習みたいなものを行なっていますね。

症状の度合いも違いすぎて、一様にどう対応したら良いのかなんて、ない。

そして、なぜ発達障害者をフォローするのに、資格っぽいものが必要なわけ?

困っている人が居たら助ける、ただそれだけのことじゃないのかね??

なに?今の社会、そんなに厳しいの?

 

 

いや、言わせてもらうけど、私は自分が凹凸だということを伏せて人事労務の仕事をしています。言う義務ないので。

つまりどういうことになるかというと・・・発達障害者の当事者である私の元に、ハローワークから発達障害者支援の講習の案内が届くという、変なことになっているわけなのだ。笑

いや、私が行っても仕方なかろうが。

 

 

ここに社会の闇が潜んでいると思うの。

と同時に、日本社会の均一性・画一化とか偏見とか排他的姿勢も垣間見える。

 

 

まず、いわゆる普通の社会人生活をしている人に、凹凸の症状がないことが大前提になっているということ。

ちなみに、私は治療と言われる領域の薬MAX必要だと言われているけれど、精神障害者手帳は発行されない。(医師の診断による)

ぶっちゃけ、苦戦してるにせよ、どうにか社会で生きているので、まあ、そうよね。

 

手帳がないってどういうことかというと、公的に障害と認められない、ということになる。

当事者ではあるけれど、障害による税金減免や社会保険で受ける恩恵は皆無。

手帳がなければ障害者雇用率には換算されないので、企業側としても手帳持っていない凹凸を雇うメリットがまるでない。早い話、金にならない。

 

 

グレーゾーンといって、症状の濃さが違うばかりにそれっぽい人が大勢隠れているというのは前提とされていない。

あくまでも、公的にレッテル貼られた人しか、社会的にその対象になり得ない。

 

くれぐれも、みんながみんな診断が必要とは言っていない。

間違っても、それっぽいから病院行けってことじゃないの!!

心身に不調が特になくて生活に困ってなければ、本当に病院なんか行かなくて良い。治療、特にお薬は苦痛でしかないから。そして信じられないくらいの金額が治療でぶっ飛んでくからオススメしない。

 

 

きっと凹凸っぽい人なんてずっと昔から居るのよ。

ちょっと変わった子、面白い奴でまかり通ってきたはず。

ところがどっこい、何が理由なのか、今、それが通じない。

 

ADHDとか発達障害っていう名前がついたばっかりに、薬漬けにされ、社会的には偏見の目で見られて、排他的に扱われているような気もする。

特に薬については、実際のところ私がお薬にすごく助けられているので全否定はしないが、医療と薬屋の利権の匂いがプンプンする。

後発薬(ジェネリック)がないことが特にね。

 

 

そして社会的偏見。

これは凹凸に限ったことではないね。

日本社会において、障害というものに対する、あるいは「普通」という至極曖昧な定義から外れた者に対する蔑視とか偏見は凄まじいものがある。

日本が島国だからかな?笑

軍隊みたいな、画一的な教育によるものもあるかもしれない。

制服がいい例じゃない?あんなの、軍服の名残りでしょ?

 

 

凹凸だけじゃないけれど、他人は自分と違って当たり前だ。

自分は自分。自分以外になり得ない。

自分探しの旅っていうのが流行っていたけれど、いや、探さなくても、自分、ここにしか居ないから、今のあなたが自分だって。大丈夫かよと。

キャッチコピーとしては上手いけど、勘違い野郎を量産したのも否めないよね。

 

そりゃ、顔が良くてスタイルも良くて、賢くて、お金持ってるにこした事はない!笑

でもじゃあそれに自分が慣りたいのか、なる必要があるのかというのは、また別の話じゃん。そうなりたいなら、整形すれば良いし、勉強すりゃ良いし、しこたま働いてお金稼げば良いだけの話じゃん。

でもやらないわけでしょ?それで他人と自分を比べるのは、なんか違うなって思う。

同じ土俵に立ってからじゃないと、比べられない。

 

そう、そもそもみんな同じ土俵になんか立っていない。

生まれ落ちたその瞬間から、すでに不平等。理不尽なのだ。

 

だから障害があるからって、差別されたり蔑視されたりするのは、違うって私は思っている。

ここに「みんな仲良し」という偽善的な嘘っぽい道徳観とか、「平均的」みたいに数値化された誰が作ったかも知らない社会的な物差しがある気がする。

みんなそれを疑わずに、正義という名の下に振りかざしている気がする。

それで傷つく人がいる、という事は毛頭念頭にない。むしろ、それで傷つけても、正義という名の下に何でも許されちゃうようなところあるよね。社会主義国家かよ。

 

この想像力の欠如が何よりもの問題で、諸悪の根源だと思うのは私だけでしょうか。

 

ん。いつになく乱暴な筆致、悪しからず。

 

 

じゃあどうすればいいのかなって思った。

もう、自分のこと話すしかねーや!ってなったのであります。なんて単純な発想。

名前も顔もわからなないので親近感湧きずらいとは思います。

凹凸の私は基本的におっちょこちょいで、心の声が全部口からダダ漏れで、衝動的なので、笑ってもらえればいいのです。

 

社会的に不適合と言われがちで、普通のことが普通にできないように見えるという側面だけが困り事として注目されがちだけど、凹凸っ子の普段の生活、知らないんじゃないかなと思って。

頭おかしい子って思われるかもしれないけど、結構、楽しいよ?

ネガティブな面もある、でもちょっと笑ってもらえたら本当に嬉しい。あ、お笑い芸人ばりにネタにするつもりはないです。はい。

私は私のこと、普通じゃないってわかっていたけど、私の感覚のうち特に体感的なものはみんなにもあると思っていたのだ。でも、違った。

 

という事で、回顧録から初めてみることとしよう。

需要があれば、凹凸発覚前後の経緯も書くとしよう。(結構ヘビーだけど)

 

凹凸ですって言われた「今」から振り返ると、私の幼少期は相当それっぽすぎて、自分で萎えるけど、毎日読書感想文だけなのも私が退屈なので、どうぞお楽しみコンテンツということで。

 

知ってほしいだけなのだ。

自分の普通だけが普通じゃないってこと。

凹凸ってもうきっと、神様のイタズラだと思うから、普通じゃ知り得ない凹凸の楽しい日常を。