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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

言葉との付き合い方と凹凸

こんにちは。にゃんちーです。

寒いので早々にしてフリースを出すべきか否か悩んで、今からフリース着てたら越冬できない!と思って、パーカーを2枚着ています。雪だるまスタイル(着ぶくれ)する日は、そう遠くないにゃ…。

 

 

さて、毎日、読書感想文書くのも飽きてきた。笑

 

読書感想ではなくて、でも読書にまつわるblogを書いてみよう!と思った次第にあります。そして、私の凹凸(ADHD)のことも、少しだけ知ってもらえたら嬉しいな、と思っています。

あ。読書感想文は、それはそれで書きます。書きますが、毎日じゃなくなると思われます。悪しからず…。

 

にゃんちー、こと、私、意識していませんが、異常に言葉に対する拘りが強く、言語に対する興味が異常なほどにあります。自覚していないので、多分ですが。

感覚的な説明になって、伝わりずらかったら申し訳ないです。そして、凹凸(ADHD)の症状は人それぞれ大幅に違います。という前置きをしたうえでお話していきます。

 

 

私、幼少期、いや、もう本当に小さいころから、なんでなんで博士でした。

例えば。

母「ごはん食べなさい」→私「なんで?」

母「もう寝なさい」→私「なんで?」

母「夕日が赤くて綺麗だね」→私「なんで赤いの?赤いのがどうして綺麗なの?」

こんなの、挙げだしたらきりがありません。なんで?しか喋れないんじゃないかっていうくらい、なんで?の連発だったんです。

 

この通称なんでなんで博士(私が勝手に命名は、凹凸(ADHD)の特徴でもあります。特に幼少期の頃に目立つものです。

 

からしたら、一溜まりもないでしょう。何か言えば全部「なんで?」と理由を聞かれる。なんでに対して返答してもらえることもありましたが、そこから更に別の「なんで?」が生まれ、またそれを言ってしまう、「それはなんで?」と。永遠と続くわけです、私が納得するまで。周りからすれば、偏屈な子だと思われがちだと思います。

そりゃ、怒りたくもなりますよねー。笑

「なんでもへちまもない!いいからやれ!」って、何度言われたことか。何度というか毎回言われていました。別に反抗期でもなんでもないんです。私にとっては、なんでか気になるから聞いているだけ。でもそれを物凄く怒られる。

 

そしてこれは、長い時間をかけてこう刷り込まれていきます。

 

なんで?と聞くと怒られる。怒られるってことは悪いことをした。ああそうか、何かに対して疑問を持ってはいけない。疑問をもったとしても、決して聞いてはいけない。って。

 

凹凸の子は、一方でとても素直です。

 

自分で言うとちょっと背中むずむずしますね…。(ちょっと、私が素直かどうかは横に置いておいてください)

 

もう少し詳しく説明すると、額面通りの受け取り方をします。だから冗談が通じません。かくいう私もそうです。冗談で言われた一言に、とても傷つく。後から冗談だよって笑って言われても、傷ついたことにはかわりなく、傷は癒えません。そこで、なんだーって笑って流せないんです。あ、この人私の事そういう風に思ってるんだ、とか、私ってそういう人間なんだ、とか、否定的にとらえてしまいます。

極論ですが、死ねと言われたら、死んでしまう。少なくとも、死ぬ方法を探してしまう。そのくらい素直です。

 

私はそれで山ほど嫌な思いをしてきました。でもそれらが、相手方に悪気がないこととか、冗談というコミュニケーションスキルが存在していることとか、皮肉なのかもしれないとか、妬み嫉みやっかみの延長なのかもしれないとか、そういうことは長らく社会で生きてきた中で学びました。

 

言葉は時として、額面通りではない、ということ。人間の話し言葉は、猶更そうだということ。

 

この素直さ、言葉を額面通りに受け取ってしまうという凹凸の特徴は、コミュニケーションにおいて、困りごとの1つでもあります。働きだすと本当に困ります。笑

なぜなら、曖昧な言葉による指示は、意味が分からないからです。

これやっといて!と言われたとします。この指示、情報が1つしかないんです。やっておく、という情報以外に何もないんですよ。この仕事をやるのは分かったんだけど、何時までに、どの程度やればいいのか分かりません。もっと言うと、最終的に誰に確認すればいいのか、独断で全部やっちゃっていいのか、とか。欠落しまくりで、私からしたら指示になっていないんです。同じように、なんとかしといて!とか、うまくやっといて!も同じです。言っている意味がわからない。なんとかってどういうこよと、うまくって何をどうしたらそのうまくっていう枠内にはいるわけ?とか。

その言葉に含まれているものを、額面通りに「しか」汲み取れない。これは結果的に、空気が読めないだとか、察しが悪いと言われる羽目になります。

 

繰り返しになりますが、みんながみんな、こうした症状があるわけではないです。

少なくとも私は、こういう特徴が強い、それだけです。

学校なり会社なり、社会にでて困ったことは数えきれないほどあります。

 

 

でも1つだけ、このなんでなんで博士と素直さに救われたことがあります。

 

それが「読書」です。

 

これにはエピソードがあって、小さい頃から本を読んでいましたが、漢字が読めない、そして意味も分からない。この分からないことをいちいち母に確認していました。

「これ、なんて読むの?」「これ、どういう意味?」そして決まって最後に、「なんで?」笑。もう定型句ですね、ここまでくると。自分で書いてても笑えてくるもん。

なんでもそう読むんだってば!ってなるもんね。

これ、例えば漢字の読みを、どうしてそう読むのか、とか、どうしてそれを意味するのがこの漢字なのかが気になるんです。つまり、漢字の成り立ち、由縁が気になるんです。これを簡潔に言葉にすると「なんで?」になっちゃう。

 

私の母(母も結構な読書家)がまたスパルタで…。苦笑

ランドセルを背負うのが早かったか、どっちだったかな、くらいの年齢の話です。

 

この、なんでなんで博士に飽き飽きしたであろう母は、ある日突然、私を本屋さんに連れて行って、こう言い放ちます。

「ここから好きな辞書を1冊選びなさい。あなたがいいと思ったものを選びなさい。」

 

恐らく、この言葉には括弧書きで、(だからこれからは自分で調べろ。今後二度となんでと聞くべからず)とついていたと思います。言われませんでしたけど。

この時買ってもらった辞書は捨てられちゃったか、従妹の手に渡ってしまいましたが、今でも覚えています。

 

どんな辞書を選んだと思いますか?ニヤニヤ。

 

勿論、子供用の国語辞典なわけですが、私が選んだのはとても分厚い辞典でした。

黄色と黒の2色刷りで、漢字にはすべてフリガナがついていて、50音の点字表記、漢字の成り立ちまで書かれてる、もはや日本語の百科事典みたいな国語辞典です。そして、漢字の成り立ちを教えてくれるキャラクターが、黒猫でした。

 

この辞書でいいのかと散々確認されましたが、うん。といって、結局それを買ってもらいました。今思えば、もしかしたら、結構良いお値段だったのかもしれませんにゃー。

 

 

私はこの辞書(通称 黒猫辞典)との出会いで、ぐっと読書が加速しました。

 

小学校あがってすぐの頃にさくらももこの、『もものかんづめ』を読んでガハガハ笑っていたり、小学3年生の頃にはすでに『新明解』という大人が普通に使う辞書を使っていました。ちなみに、今私の手元にある『新明解』は、小学校のこのころからずっと使ってきたものです。おかげで背表紙は金で箔押ししてあるはずが、擦り切れて何も書かれていないみたいになっています。そのくらい、辞書をひきました。

 

そんなこんなで、読書も加速し、言葉に対しても敏感になっていきました。

 

自分が話す時も自分の考えを的確に表す言葉を選びたがります。なので話すのにとても時間がかかります。だから自分の語彙力のなさを感じます。この言葉でもないし、あの言葉でもなくて…ああ!こういう気持ち、なんて言えばいいんだろう!ってなります。自分で勝手にオノマトペを作って言ってしまうことすらあります。笑

 

人の話す言葉に対しても同じです。揚げ足取りみたいでいやですけど、些細な言葉に気を取られます。それ、どういう意味でいってるのかな?って。聞いてみると、言いたいことと選んだ言葉にギャップがあることが多いです。それを言いたいなら、こういう言葉じゃないのかな?とか、さっき言ってた言葉とあなたの気持ちは私が感じとったてたのと違う!みたいなことがあります。

 

日本語って、似たような単語が沢山あるんです。そして、おそらく言語の中でも日本語はネガティブな単語がとっても多い言語になります。

嫌い、というのに英語だったら Don't like ・dislike・hate 程度によって使い分けますけど、こんなもんです。

でもこれ、日本語だったらどうでしょう。嫌いから始まって、好きじゃない、大嫌い、忌み嫌う、毛嫌いする、嫌気がさす、憎悪、苦手などなど・・・嫌いというニュアンスを含んだ嫌いに近い言葉(類義語)がたーっくさんあるんですよね。笑

そういう日本語が好きではないというわけではなくて、日本語ってネガティブな感情に対してすごく厳密に単語を使い分けているんですよ。そして、それらの単語を知らないと、的確に言葉で表現することができない。

逆にポジティブなことを表現するのは、あんまり得意ではないのが日本語。

なんとも(よく言えば)奥ゆかしさとか気恥ずかしさという日本人っぽさが言語にも滲み出ている気がします。そして、こんなに言葉数が多いのにも関わらず、含みのある単語も多いです。微妙なニュアンスとでもいったらいいんでしょうか…。そしてオノマトペの多さ!何が好きって、これが一番好きと言っても過言ではないです。

単語にならないなら、聞こえた音をそのまま擬音語、擬態語にしちゃう大雑把ともいえる、でもどうにか言葉にしたがる感じがとっても好きです。

 

 

ちょっと長くなりましたー。

 

私はASDもあるので、なんとも言えないところですが、言葉に固執しがちな凝り性なところはADHDないしASD由来だと思っています。

障害だと言われていますが、私は最近これを凹凸(でこぼこ)って自分では言っています。でこぼこでいいんです。だって、みんな、でこぼこじゃんか。笑

なんでも平均的に全てできる人、いるの?居たらぜひ自己申告をこちらにて。

何かに秀でている時点で、すでに凸凹です。凹みはないかもしれないけど、凸があるんですから。どっか出てたら、もう綺麗な丸とか四角じゃないじゃん。

 

凸凹って、苦労することも多いのは事実です。本当に。これは当事者しか分からない感覚・体感なのでそれはまた別の機会に。

 

最後に。

 

私と同じように凹凸がある方は、もう少しだけ、ほんのちょっとでいいから、その凹凸を可愛がってやってください。でこぼこしてて、可愛いじゃん、自分。って。嘘でもいいから言ってみて!どうせだったら、自分をハグとか良い子良い子しながら、言ってみて!そのうち、本当にそう思えてくるから。そう思えるだけで、心がちょっとばかし軽くなるから。生きづらさとやらから、すこーし、離れられるから。

 

周りに凸凹の友人同僚がいる方は、もう少しだけ、その人の凸凹を見つめてみてください。きっと可愛くみえてくると思います。凹みばっかじゃないんです。

凸を探し当ててあげてください!是非に!本人は自分の凸に気が付いていないことが非常に多いので。これについてはまた別の機会に書きたいと思います。自己肯定感の話です。

 

ふいー。なっげーな、おい。笑

最後まで読んでくださった方、本当にありがとう◎

凸凹について書いている時が、一番タイピング早くてすらすら書ける気がしてきたにゃんちーなのでした。

 

またにゃん。