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near2図書館 館長こと、にゃんちー。私の読書感想文と、頭の中の本をご紹介。日々の徒然(凸凹日誌)

僕らは奇跡でできている【凹凸日誌】

こんにちは。にゃんちーです。

何を隠そう、私はテレビのない生活をしています。ででーん。

テレビなくても全く困らないんだよね。

ネットで情報検索できるし。むしろそっちのほうがリアルタイムで更新されていくし。

 

とは言え、ネットで見逃し配信でドラマを見ています。

面白いよと言われて今みているのが、「僕らは奇跡でできている」なのだ。

面白いなって思って見ていたけれど、回を重ねる毎に思うことがあって、blogに記す次第です。

 

 

僕らは奇跡でできている 概要

主人公の相河一輝(高橋一生)は、動物行動学を教える大学講師。
大好きな生き物のことや、自分が気になることについて考え始めると、周囲には目もくれず没頭してしまう性格のため、時に人を困らせ、時に苛立たせる“変わり者”です。

しかし、常識や固定観念に捉われない一輝の言動は、周囲の人々の価値観を大きく揺さぶり、いつしか好きなことに夢中になっていたあの頃の純真無垢な気持ちを思い出させてくれます。

才色兼備の“こじらせ”女性歯科医
一輝と教授との関係に嫉妬する准教授
周囲と独特の距離を保つ“アリおたく”講師
“普通じゃない”講義に戸惑う学生たち
幼い頃から一輝を見てきた祖父
歯に衣着せぬ物言いの世話焼き家政婦
一輝の理解者で、陽気でユーモアあふれる教授

そんな個性豊かな登場人物たちと、周りに流されず、ただ自分の好きなことに一生懸命な一輝。両者のやりとりは、クスッと笑えると共に、
あなたの心に語りかけます。

“普通”“常識”“当たり前”
あなたは、そんな目に見えない“ものさし”に縛られていませんか?

ついつい自分を他人と比べてしまうすべての人に贈る、
コミカル・ハートフルドラマが始まります!

 

公式サイトから拝借m(_ _)m

www.ktv.jp

 

 

主人公 相川一輝 発達障害説

高橋一生の演じる相川先生に、発達障害のきらいがあるっていう感想が多いのです。

しかし、公式サイトにそのような設定は書かれていません。

それから、相川先生と仲良しの虹一(こういち)君という小学生の男の子にも、発達障害っぽさがあるように感じられるようですが、やっぱりそういう設定は書かれていません。

 

ドラマの設定として、主人公の相川先生が発達障害なのか。

本当のことは、分かりません。

でも私が見ていても、主人公の相川先生は、発達障害?っていう感想を抱く気持ちは、正直わかる。

 

ここで言えるのは、おそらく、それだけ世間に「発達障害」というものの認知が進んでいる、ということだと思うのね。

それはそれで良いことなのだ。

知ってもらうことが、まず理解や共生への第一歩だから。

ただ、発達障害に関して言えば、知らなきゃ知らないで、ちょっと変わった子、個性的な面白いやつでまかり通ってきたはずなのだ。

こんな子、昔からいたでしょ?

 

現にドラマでも主人公の相川先生は、ちょっと変わり者、として描かれている。

そんな程度。

そんな程度のはずなのに、それでもドラマの中では、主人公の相川先生は時間が守れなかったり、約束事を忘れちゃったりすることで、例えば榮倉奈々演じる歯医者の先生に「あなたには常識ってものがないんですか!?」とか、大学の事務長に「普通は」とか言われちゃったりしている。

つまるところ、「非常識」として描かれているようにも見える。

 

かくいう、私も発達障害(ADHDとASD)

発達障害というものが社会的に認知されているとして、じゃあ、それが良いかどうかというと、甚だ疑問なのだ。

 

なぜか。

 

発達障害の症状は千差万別だから。

 

発達障害と一口に言っても、ADHD(注意欠陥・多動症)・ASD(自閉症スペクトラム)・LD(学習障害)と、少なくともこれだけの枠組みがあり、なんなら複数を併せ持つ人もいるし、それぞれの障害の重さも違う。

いわば、その障害による症状は、もっている障害の数と症状の重さとの「掛け算」なので、もう無限よね。

発達障害はこうだ!という明確に提示できやしない。

 

そして、すべての発達障害者が、いわば「非常識」ではない。

期限を守れないとか、忘れやすいとか、空気を読まずに思ったことをど直球に言ってしまうとか、人の気持ちが分からないとか。

挙げたらきりがないのだけれど、みんながみんなそうじゃない。

 

ドラマの中の描かれ方で、当事者として(あくまで私個人として)の心配事としては、「非常識」なやつは発達障害なんじゃないの?という逆説が成り立ってしまうこと。

いや、違うけんね。本当に。

 

確かに、そういう側面はある。

もう認めざるを得ない。(にゃんちーの懺悔。笑)

 

ただ、定型さん(定型発達、つまり健常者のこと。発達障害ではない人たちのことを、発達障害者界隈ではこう呼ぶ)たちには分からないことも多いと思うの。

ドラマの中ではあまり描かれていないけれど、発達障害を抱えている人の生きづらさの何よりもの理由は、社会の常識や普通という、ひどく曖昧な大人の都合ともいえる概念の押し付けによるものだ。

義務教育からしてそうなんだけど、徹底的に「定型」という型に無理矢理に押し込まれてきたところにある。

しつけ、なんていう生易しいものではない。

 

主人公の相川先生が「なんで」という言葉をよく言うのだけれど、まさにそれ。

「なぜ」そうしなければならないのかが分からない。

分からないと素直に言うと、つべこべ言わずにそうするの!とか怒られちゃう。

私なんかは口が達者だったから、屁理屈はいいから言うこと聞け、と怒られまくって育ってきた。

先に言うと、「なぜ」が分からない限り、実は非常識とも捉えられかねない行動は全く改善されない。

逆に「なぜ」さえ分かれば、きちんと出来るのだ。

「なぜ」の次には、「では、どうすればいいのか?」と進展するので、取り組みやすいと言い換えられると思う。

 

「自分」とは、何者なのか

「自分らしさ」とか、「好きなことを」だとか、頻繁に言われる昨今。

さらには「夢を叶える」とか、「自由になる」だとか、「本当はどうしたいのか」とか、「生き方」みなたいなものを示すような風潮もある。

 

おそらく、今、誰しもがほんの少しの疑問を抱いているんだと思う。それは今まで「普通」とされてきた社会に対してだったり、その当たり前に従ってきた自分に対する疑問。

そしてそれを少しずつ解放しつつあると思う。

そういう社会の流れな気がしている。

今、みんな、少しずつだけれど、当たり前を疑いだし、お金や地位や名誉ではない「幸福」のあり方とか、価値観、そしてそういった物量の豊かさに対する虚しさをひしひしと感じ、そうではない「何か」を模索しだしている気がしてならない。

 

これは、今に始まったことではなくて、本当はずっと昔から問われてきた、哲学的な人類の課題なんじゃなかろうか。

 

自分は何者なのか。

 

その答えは、自分の中にしかない。他者にゆだねることは、出来ない。

他者にゆだねるということは、自分の人生の決定権を他人に渡すわけだから、自分の思い通りになんていかなくなる。

ただし、他人に操縦を任せているほうが、楽なのも、また事実。

今までそうして他人任せに生きてきた人が、ここへ来てようやく、自分で自分の舵をとろうと、自分の人生に責任を持ち始めようとしているように私には見える。

なんだかちょっと、わくわくする時代が来る予感がしている。

 

ところで、あなたの願いは何ですか?

僕らは奇跡でできている第5話の、主人公相川先生のおじいちゃんの言葉がとても印象的でした。

おじいちゃんが幼少期の相川先生にむかって、今どういう気持ちだ?とたずね、「楽しい!面白い!」という答えが返ってきた。そこにおじいちゃんは、「それは一輝(相川先生の下の名前)の中の小さな光だからな」と言う。

そして、今大学講師を務める相川先生に、「一輝の中にあった小さな光は充分大きくなった。もっと大きくなったらどうなる?」とたずねる。

相川先生は、こう答える。

「ほかの人が入る」と。

 

これはいわば、インフルエンサー。影響力の大きさを言われることが多いが、でも実は他人を巻き込む力なんだと思う。

そういう人が増えてきたら、とっても面白いなと思う。そこに大小は、ない。

そして、「小さな光」と言われた、「楽しさ、面白さ」を追求するということは、そういうことなのだと思う。

 

同じくドラマのなかで、相川先生の良き理解者でもあり指導教でもあった鮫島教授の言葉もそうだ。

願いがないという相川先生をこう分析している。

「目の前のことを夢中になってやっているうちに、願いが叶っちゃう。だから考えないんだよ」と。

 

あなたの願いはなんですか?と、問いておいてなんだけれど、今、目の前のことに夢中になれていますか?

夢中になれるほど、楽しいこと、してますか?

それが見つかった時、それに取り組めた時、きっと誰しもが「自分の人生」を歩き始めるんだと思います。

 

 

最後に

ちょっと変わり者の相川先生(発達障害疑惑つき)のドラマなのだけれど、実は普遍的なことを問われている気がします。

勿論、このドラマを通して、発達障害のことをもっと知ってもらえるなら、そんなラッキーなことはないなとも思います。

でも、発達障害者への偏見や誤解を生みかねないし、そうなっては欲しくない。

 

それからもう一つ。

本当に正直なことを言うと、同じく発達障害疑惑つきの小学生の男の子、虹一(こういち)君を見ていると、まるで昔の自分と重なることが多く、フラッシュバックするというつらさがある。

これは当事者ならでは、だと思う。

 

何につけても「なんで?」と聞いてしまっていた、なんでなんで博士だった私は、怒られまくって、大人の力と都合で色々とねじ伏せられて、ここまで生きてきた。

これについては過去記事にて少し触れていますので、どうぞ↓

 

www.nyanchii.com

 

 

そういう過去と繋がって、ドラマでしょっちゅうお母さんに怒られている虹一君を見ていると、胸がチクっとするのでありました。

 

ひょえー。長くなっちゃったにゃん。

こんなに書き殴っておきながらも、今日のドラマも楽しみにしているのでありましたとさ。まる。

今日はこの辺で。

またにゃん。